株主優待は魅力的に見えるが、ミニマリストの暮らしとは相性が悪い。優待のために行動が誘導されることや、不要なモノを増やすことへの違和感。一方で、企業努力や非課税という制度的な合理性も否定できない。その両面を踏まえたうえで、自分なりの距離の取り方を整理してみた。
ミニマリストに株主優待は合わない理由
株主優待は一見お得に見えるが、ミニマリスト的な価値観とは相性が悪い。優待の存在が消費行動を変え、結果的に不要な行動を生むからだ。
「せっかくだから使わなければ」と外食に行き、期限に追われて予定を調整する。本来は自分の意思で選ぶはずの行動が、優待によって誘導される。この受け身の消費は、ミニマリズムの本質である「主体的な選択」とは相反する。
例外的に価値を感じているのは、楽天の株主優待だけだ。楽天モバイルを無料で利用できており、通信費の削減という明確な実利がある。ただし、こうした合理性のある優待を除けば、多くはノイズに近い。
物品の優待はもちろん、QUOカードのような金券ですら扱いにくい。電子マネーで生活が完結しているため、物理カードを持ち歩くのは煩雑だ。お食事券も同様で、使うために行動を制約されること自体が負担になる。(贅沢な話かもしれないが、自由を犠牲にしてまで使う価値はない。)
株主優待の良さもある
もっとも、株主優待という仕組み自体には一定の合理性がある。企業が株主と直接的な接点を持ち、商品やサービスを体験してもらう機会を作るという意味では、マーケティングとしても優れている。さらに、優待には税金がかからないという実務的な利点もある。配当金に課税されるのとは対照的に、優待は非課税で享受できるため、企業・株主双方にとって効率的な仕組みでもある。この点において、株主優待は単なる「贈り物」以上の経済的合理性を備えていると言える。
自分にとっての結論
それでもなお、ミニマリストとしては自由度とシンプルさを重視したい。用途を選ばず、資産として一元管理できる現金や配当金の方が理にかなっている。「お得」よりも「自由」を優先する生き方には、株主優待の入り込む余地は少ない。



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