私は自分の子ども時代を思い返すと、もし物心がつく前から英語に触れていたら、日本語を覚えるように自然に身につけられたのではないかと感じていた。その思いがあって、わが家でも早期英語教育に取り組んでみようと思った。
ところが、長男が2歳の頃、保育園から「発達の進み方が少しゆっくりですね」と言われ、発達診断を受けることになった。結果は自閉傾向あり。不安になった私は発達障害関連の本を読み漁った。その中には「英語教育が原因になる」と書かれているものもあり、動揺して一度英語から距離を置くことにした。さらに、そうした書籍には「テレビもスマホもタブレットもダメ」といった強い制限が書かれていて、私はそれを信じて一切の映像メディアを排除した。日本語のアニメも英語の歌も含めて、画面を使うことはすべてやめた。
紙の絵本や会話中心の生活に切り替えた当時は、「これで正しいはず」と思いながらも、どこか息苦しさを感じていたのを覚えている。
発達障害の診断を受けて、一度やめたおうち英語
長男の診断を受けた当時、私は「少しでもリスクになりそうなものは避けよう」と考えていた。そうして徹底的に映像を排除し、家庭では日本語の会話と絵本に絞った生活に切り替えた。今振り返ると極端だったと思うが、当時は不安を和らげるために必死だった。
再開のきっかけ
その後、次男の成長を見て考えが変わり始めた。末っ子らしい甘え上手な性格もあり、有意味語の発語は長男より早かった。日本語の発達が順調であると感じられ、「日本語の土台がしっかりしていれば、英語を取り入れても大丈夫かもしれない」と思えるようになったのだ。
こうしておうち英語を再開することにした。このとき長男は4歳、次男は2歳半だった。
おうち英語を再開して気づいたこと
再開後は、まずDVDからの取り組みになった。それまで日本語・英語を問わず一切の映像メディアを排除していた分、子どもたちの食いつきはすごかった。はじめて触れるテレビや動画が英語だったことで、「世の中の楽しいものは英語でできている」という感覚が自然に刷り込まれたのではないかと感じている。
日本語についての心配はなかった。朝から夕方まで保育園で日本語の環境にどっぷり浸かっていたからだ。家庭ではむしろ、英語を楽しむ時間として取り入れられた。英語の歌やフレーズをすぐに覚えて口にする姿を見て、私は意味が通じ合う経験こそが子どもの学びを加速させると感じるようになった。
自閉傾向のある子にとって、おうち英語が自信につながった
発達の凸凹があると、学校生活で自信をなくす場面は少なくない。長男も自己表現が得意ではなく、普段は自分から「英語が得意だ」と口にすることはない。
けれど、英語は兄弟にとって大きな自信の源になっている。家庭でも外でも2人の会話は英語になることが多く、それが自然と兄弟のアイデンティティになっているのだと思う。
印象的だったのは、小学校の学活で「自分の得意なこと」を書く場面があったときのこと。長男はそこに「英語」と書いていた。さらに補足として「日本語より英語が得意」と記していた。普段は言葉で自己表現が苦手な長男が、自分の強みを「英語」として紙に残したのを見て、早期英語教育が彼にとって単なる学習の一環ではなく、自己肯定感を支える拠りどころになっていると実感した。
さらに、英語を通して世界の同年代の子の関心や、日本以外の文化にも自然に触れられる。日本の小学校という狭い世界で困難があっても、それがすべてではないと理解できるのは子どもにとっても親にとっても心強い。
おわりに
不安の中で一度はやめた早期英語教育だったが、今ではわが家にとって「子どもの自己肯定感を支える手段」となっている。
ただし、ここで書いたのはあくまでわが家の事例であり、すべての子どもや家庭に当てはまるわけではない。それぞれの状況に合わせて、安心できる方法を選ぶことが大切だと思う。
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