次男は、長男と比べて英語を読むのに困難があるなと思っていた。本人も若干のコンプレックスはあった可能性はある。けれど、ある日ふと気づいたら、英語の文字を追って自然に読めるようになっていた。きっかけは、私の想像とはかなり違うところにあった。
読み聞かせはしなかった——その前提
まず前提として、私は英語の読み聞かせをしていない。意識的にやらなかったというより、時間や余裕の問題で「できなかった」に近い。とはいえ、おうち英語は読み聞かせが王道。はたして「読み聞かせなしで英語が読めるようになるのか?」について事例を紹介したい。
きっかけは電子書籍アプリの漫画「Master Hamster」
転機になったのは、電子書籍アプリepic!の「Master Hamster」という漫画シリーズ。次男はこれにどハマりして、読み上げ機能+自動ページめくりで延々と“視聴”していた。親の目には正直「これ、動画と変わらないじゃん…」と見えて、内心は少し苦々しかった。それでも本人があまりに楽しそうなので、「これは英語のかけ流しだ」と自分を納得させ、しばらく放置していた。
半年後:音声オフ→音読期→静かに読む期
ところが半年ほどたつと、次男は読み上げ機能を使わなくなり、自分で音読する時期に入った。さらに少し経つと、とても静かにページを追う姿が増えて「本当に読めているのかな?」と疑う瞬間もあった。ただ、画面で単語を長押しして発音を確認している様子を見て、「ああ、読みながら分からない単語だけを拾っているんだな」と納得できた。
兄弟で新作の内容を語り合う——内容理解の確信
同じシリーズは長男も読んでいて、新作が出ると2人でストーリーを語り合うようになった。その会話の具体性から、「単語拾いではなく内容を理解して読んでいる」と確信できた。
日常の英語を読み始める——外に漏れ出た力
そこからは日常でも、身の回りの英語が目に入るたびに自然と読むようになった。「ここにKirin green’s freeって書いてあるよ」と指摘してくれたり、電車の座席の後ろにある乗客向けの説明文をさらっと読んだり。読める力が生活の場面ににじみ出てきた感覚があった。
決定的だった「字幕読み上げ」の瞬間
極めつきは、私が音声なしでYouTubeを見ていたとき。英語字幕がすごいスピードで切り替わるのに、次男が横から覗き込んで、字幕を次々と声に出して読んだのだ。その瞬間、「あ、もう本当に読めているんだ」と分かった。
次男の内側で起きていたこと(私の仮説)
- 長男との比較でコンプレックスはあったはず。ただ「読めない」とは言わず、内心では読みたい気持ちを持ち続けていた。
- ひらがなと違い、英語は音と綴りの対応が複雑。だからこそ、ある程度読める自信が持てるまで黙っていたのだと思う。
- 漫画+読み上げという低ハードルの入口から始まり、気づけば自分の読みに切り替わっていった。
私がやったこと/やらなかったこと
- やったこと:好きなコンテンツ(epic!の漫画)にどっぷり触れられる環境を用意。読んでいる最中は口を出しすぎず、単語読み上げや発音確認といった“自助的な工夫”を尊重した。
- やらなかったこと:英語の読み聞かせはしていない。「読ませなきゃ」と焦ってドリルや反復を課すこともしなかった。
いま思うこと——「読む力」は好奇心×接触量で育つ
読み聞かせは必須ではないかもしれない、と私は思った。もちろん、読み聞かせが良い方法であることは否定しない。でも、子どもの好奇心に合ったコンテンツへたっぷり触れる時間があれば、読解の入口は思いがけない形(漫画+読み上げ)からでも開くのだと感じる。結果として次男は、「自分で読める」という手応えができてから自然に外へ示すようになった。その姿を見て、私は「急がせないこと」や「待つこと」の効用を改めて噛みしめた。
これから試したい小さな工夫
- 漫画だけでなく、短いノンフィクションや字幕つき動画など、読める題材の幅を少しずつ広げる。
- 分からない単語に出会ったら、これまで通りその場で発音・意味を確認して進む(止めない)。
- 兄弟で内容を語る時間を意識的に作る(理解が深まる)。
我が家はEpic!を使っているが、海外アプリに抵抗があるならこれもよいかもしれない↓
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