兄弟の会話が英語で定着したきっかけを振り返ってみた
気がつけば、うちの小4息子と小1息子の会話は、自然と英語になっている。意識的に「兄弟は英語で話そう」と決めたわけではない。どうしてそうなったのか、私なりに振り返ってみる。
きっかけは「週一・同じクラス」のプリスクール
小学校に入る前、週一でプリスクールに通っていた。コロナ禍で私が在宅勤務になったことで、送り迎えが現実的になり、「週一くらいなら」と始めたのが出発点。
通っていたプリスクールは小規模・少人数制で、学年で分けず兄弟を同じクラスにしてくれた。ここが大きかったと思う。英語を強制的に使う環境の中で、ふたりが並んで同じ活動をする。これが、兄弟間の会話が英語で回り始める土台になった気がする。
保育園では別々、プリスクールでは一緒――環境の差が効いた
普段の生活は週4で保育園。学年が違うからクラスも別々で、兄弟で同じ時間を過ごすことは意外と少ない。一方、プリスクールでは同じクラスで同じ課題に向き合う。しかもコミュニケーションの媒介は英語。
その結果、ふたりの間では「英語で言ったほうが早い・通じる」という感覚が育ち、気づいたら兄弟のやり取りが英語で完結するようになっていった。
たった「週一・4時間」を2年間――それでも意味があった
振り返ると、プリスクールに通えたのは週一・4時間×2年だけ。時間としては決して多くない。それでも価値があったと感じるのは、ふたりが次のことを体感できたから。
- 英語で成り立つ世界は身近にある(英語を話す人たちが目の前にいる)
- それは特別ではなく「普通のこと」だと腑に落ちた
- その「普通さ」が兄弟関係にも適用される感覚が芽生えた
正直、インプット量としては十分ではない。でも、まずは英語が“使われる前提の場”に身を置くことが、後の定着に効いたのだと思う。
私が大事だと思うポイント
- 環境設計:英語を使うのが当たり前の場に、兄弟で並んで参加できたこと
- 同時体験:ふたりが同じ文脈・同じ課題を共有したことで、家でも英語表現が再利用されやすくなったこと
- 「特別→普通」への転換:英語はイベントではなく日常、という認知の書き換え
まとめ:英語が「普通」であることを、兄弟間にも広げる
最終的に伝えたいのは、英語を話す人が身近にいて、それが特別ではないと“思い込める”ことが重要という点。そして、その「普通さ」を兄弟関係にも適用できると、家庭の中で英語が自然に回り始める。
うちの場合は、週一・少人数・同じクラスという条件が重なって、兄弟の会話に英語が根づいた。インプットの多寡よりも、まずは英語が当たり前に使われる場をどう作るか——私はそこが肝だと思っている。
※写真はイメージです。息子本人ではありません。
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